ラグビー監督の会見を見て感じたこと

スポーツはルールを決めた上で競うから面白いし、スポンサーとなってくれる企業や団体に恩返しになっているのではないだろうか。

そのことを今一度考えてほしいなと思った。 幼い頃から、ラグビーが好きで必死に頑張ってきていた選手が、監督の指示で、人生が潰されるのは我慢ができないと感じる。

大学生になるまで、必死に勉強やラグビーを頑張ってきたわけだ。選手や家族はその姿をずっと見てきたから余計に悔しい思いがあるのだと思う。

そんな家族の思いすらかんじていないとばかりに、あんな会見をすればどのような反応が返ってくることなど少し考えれば分かることだ。

選手たちは、息子を立派にしてくれると、人生を明るくしてくれることを信頼と期待を込めて、ラクビーのチームに入れたのだ。

監督業というのは、その後の選手の未来を明るくするために導くことだと私はそう思うのだ。選手を駒のようなことをしてはいけない。

大学のブランドの前に人間として、導くことがあるということを今一度思い出して欲しいとテレビの報道を見て感じたことだ。

スポーツを題材にしている漫画やドラマでは、ラフプレーによる反則はよく描かれているが、それを現実に持ってくるということに戸惑いを感じた報道でもあった。

一見、監督として、責任をとっているように思えるが、実際の話は責任と言う意味ではどうだろうと疑問に感じたし、被害者・加害者の当人たちだけでなく、家族たちが納得するのだろうか あの会見は、逃げと取られてもおかしくないと私は感じた。

どんな結果になるかはまだわからない。しかし、大学チームの存在の在り方自体を今問われていると私はそう感じた。いぶきの実